伊勢山の丘の物語

当宮は横浜総鎮守として、国際港都横浜の歴史と発展と共に歩みを進めて参りました。
伊勢山の丘と港ヨコハマを巡る物語をご紹介します。

  • 伊勢山出土の土器

    今でも境内から写真のような縄文土器片が見つかることがあります。

  • 野毛の切り通しと横浜道

    当宮ご本殿の裏は切り通しとなっており、「野毛の切り通し」と呼ばれています。
    ここを通る道は、幕末に開港場と旧東海道を結ぶために築かれた街道「横浜道」です。
    開港当時、伊勢山の丘には横浜を統治する神奈川奉行所がおかれていました。
    この場所で街道を切り通しとしたのは、有事の際に奉行所が街道を封鎖するためであったといいます。

  • アイスクリームのはじまり

    明治2年、町田房蔵が馬車道に日本初のアイスクリーム店を開業しました。
    しかし、当時の日本人は乳製品になじみがなく、当初は大苦戦をして一時は閉店に追いやられます。
    ところが翌年の伊勢山皇大神宮の遷座祭で店を再開したところ、お祭りの見物客へアイスクリームが飛ぶように売れ、房蔵の店はたちまち大評判となりました。
    これがきっかけとなりアイスクリームが日本中に広まったのです。

  • 伊勢山離宮と海の日

    明治8年、宮内省が当宮の境内地に隣接した皇室御用邸「伊勢山離宮」を設けました。
    記録によると、この離宮は二階建ての洋館で、中の家具や装飾も全て洋風で揃えられていたといいます。
    明治9年7月20日、東北巡幸を終えられ、函館港から汽船・明治丸で横浜港へお戻りになった明治天皇は、そのまま伊勢山離宮に御宿泊されました。
    実は、このことが国民の祝日「海の日」の起源となったのです。

  • 伊勢山の桜

    かつて当宮の境内には数多くのソメイヨシノが植樹され、また参道や紅葉坂も桜並木が続き、当時の横浜有数の桜の名所でした。
    桜の花を社紋としているのは、このことに由来します。
    『横浜市史稿』によると、明治時代には横浜港に入港する船からも、咲き誇る桜とそこにそびえる大鳥居がよく見えて、「外國人にまで其名を評判されて居た」と記されています。
    現在でも春には桜が境内を色あざやかに彩ります。

  • キングの塔と横浜三塔物語

    神奈川県庁本庁舎は、昭和3年に竣功され、「キングの塔」の愛称で横浜のシンボルとして親しまれています。
    令和元年には国の重要文化財の指定を受けました。
    キングの塔の最上階は、かつて修養塔となっており、そこに奉斎されていた皇大神宮の月次祭には伊勢山皇大神宮の神職が奉仕していました。
    現在は残念ながら神殿はありませんが、それでもキングの塔には不思議な伝説があります。
    キングの塔とクイーンの塔(横浜税関)、ジャックの塔(横浜開港記念会館)を巡ると、願いが叶う、カップルは結ばれるという「横浜三塔物語」です。
    もしかすると、今も大神さまが塔の上から、横浜を見守ってくださっているのかもしれませんね。